村に、小学校が誕生
2006年の出会いから、学校のなかった村の子どもたちのための、学びの場づくりが始まりました。
カンボジア・シェムリアップ近郊のトンレアップ村。2008年10月、学校のなかったこの村に、3教室の小さな小学校が誕生しました。YOSIMASA学園は、公教育に加えて日本語・英語を学ぶ機会を届けています。言葉を通して外の世界を知り、将来の選択肢を広げる。その歩みを、これからも地域と共に続けていきます。
ABOUT US
村に生まれた学校。世界につながる教室。
2006年の出会いをきっかけに、YOSIMASA学園はその歩みをスタートしました。
カンボジアの農村から、世界へ。学ぶことを通して、子どもたちの未来の選択肢を広げています。

OUR STORY
この学校は、内戦を孤児として生き抜いた、ひとりのカンボジア人の想いから始まりました。ヒム・サラさんが故郷の村で見たのは、道もなく、学ぶ場所もない子どもたちの姿でした。
その想いに、国境を越えて仲間が集まりました。YOSIMASAという名前は、創立を支えた4人の名前をつないだものです。
YOSIMASAの物語:準備中国籍も、言葉も、育った環境も違う4人をつないだのは、「この村の子どもたちに、学ぶ機会と世界への扉を」という願いでした。
2006年の出会いから、学校のなかった村の子どもたちのための、学びの場づくりが始まりました。
日本語・英語を学んだ卒業生は、都市や海外で就職するなど、それぞれの道を歩んでいます。
地域と共に、次の世代へ学びを届けていきます。
HOW TO JOIN
寄付で支える。経験を伝える。活動を広める。
日本にいながらできることがあります。
1,000円/月〜
授業を続けるための費用を、継続的に支える月額サポーター
*月に1回オンライン交流に参加できます。
寄付の受付:準備中5,000円〜
教材や設備、授業の運営など、学びの環境づくりを支える単発サポート
*寄付の回数だけ、オンライン交流に参加できます。
寄付の受付:準備中寄付・オンライン交流の受付ページは準備中です。それまでのご相談はお問い合わせからどうぞ。
FOR PARTNERS企業・団体のみなさまへ
継続支援や単発寄付に加え、社員のみなさまと教室をつなぐ交流など、それぞれの経験を生かした協働を考えていきます。
具体的な予算と活動・会計報告は、体制が整い次第こちらで公開します。
次の20年を、一緒に。
自分の人生を、自分で選べる未来へ。
子どもたちの「世界への扉」を、あなたと共に。
20年の歩み
カンボジア・シェムリアップ近郊のトンレアップ村に、2008年10月、3教室の小さな小学校が誕生しました。
当時、村には小学校がなく、学齢期の子どもたちも村で家事や農作業をしたり、出稼ぎに出たりすることが珍しくありませんでした。教育の大切さを、なかなか理解してもらえない時代でもありました。
そこでYOSIMASA学園は、公教育に加え、当時まだ珍しかった外国語の授業を始めました。海外から多数のボランティアが村に滞在し、Assistant Language Teacher (ALT)として、世界の窓口となって児童たちの教育にあたりました。子どもたちが日本語や英語を学ぶ姿を通して、村人たちの教育に対する考え方も、少しずつ変わっていきました。
現在では近隣の村からも多くの子どもたちが通うようになり、ここで日本語や英語を学んだ卒業生たちは、その力を生かしながら、シェムリアップやプノンペンなどの都市へ、そして日本をはじめとする世界へと飛び出し、それぞれの道を切り拓いています。
カンボジアの農村から、世界へ。
YOSIMASA学園は、子どもたちの可能性と将来の選択肢を広げるために、これからも日本語・英語の授業を中心とした「世界への窓口」となる学びの機会を届けつづけます。
YOSIMASA Project — 子どもたちの学びと未来を、地域と世界で支える。

創設者の物語
この学校は、内戦を孤児として生き抜いた、ひとりのカンボジア人の想いから始まりました。ヒム・サラさんが故郷の村で見たのは、道もなく、学ぶ場所もない子どもたちの姿でした。
1969年、内戦直前のカンボジアの農村に、ヒム・サラさんは生まれました。
1970年以降、カンボジアは長い内戦と混乱の時代に入り、その後のクメール・ルージュ政権下では、多くの教師や知識人が命を奪われ、学校や教育の環境も大きく失われました。サラさんもまた、幼いころに両親と兄弟を失い、さまざまな困難を経験しながら、その時代を生き抜いた一人でした。
内戦が終わり、孤児として苦学を重ねたサラさんは、1999年にツアーガイドとなります。そして2001年、疎開先から生まれ育った村へ戻りました。そこで目にしたのは、道路さえ整備されておらず、雨季には泥に覆われ、足を踏み入れることさえ難しい故郷の姿でした。
子どもたちはたくさんいる。
けれど、学べる場所がない。
「この村で生まれ育った子どもたちの将来は、どうなってしまうのだろう」
サラさんの中に、一つの想いが生まれました。
「学校がないのなら、自分たちで建てればいい」
そう決意したサラさんは、ツアーガイドの仕事を続けながら、出会った外国人旅行者たちを、電気も水道もガスもない故郷の村へ案内しました。そして、村の子どもたちのこと、学校をつくりたいという夢を語り続けました。
転機が訪れたのは、2006年1月。その想いに共感したひとりの日本人教師・鎌倉好男との出会いをきっかけに、やがてイタリア人のシルビアマニア、カナダ人のマーガレットスカラーといった仲間も加わりました。
国籍も、言葉も、育った環境も違う4人が、一つの想いでつながりました。
「この村の子どもたちに、学べる場所をつくり、世界への扉を用意しよう。」
そして2008年10月。サラさんの故郷、トンレアップ村に、3つの教室からなる小さな小学校が誕生しました。
開校当初、学んでいた子どもたちは320人。教室は3つ。教師も3人からのスタートでした。
サラさんは、親御さんや村の人たちに、教育の大切さを伝え続けました。学校に通う子どもたちは少しずつ増え、海外から多くの人々が村を訪れるようになり、村にも新しい交流と活気が生まれていきました。そして、ここで日本語や英語を学んだ子どもたちは成長し、今、それぞれの場所で自分の道を切り拓いています。
サラさんは2020年、51歳でその生涯を閉じました。けれど、サラさんが故郷の子どもたちに託した想いは、今もこの学校に息づいています。
「子どもたちに、学ぶ機会と世界への扉を。」
私たちは、サラさんの想いとともに、これからもこの村の子どもたちに学びの機会を届け続けます。

2006年の出会いをきっかけに、2008年に小さな学校が誕生。今では近隣の村からも子どもたちが通っています。

日本語・英語の授業をきっかけに、子どもたちだけでなく、親世代にも教育の大切さが少しずつ広がりました。


ここで学んだ卒業生たちは、日本語・英語を力に変え、都市での就職や日本をはじめとする世界へ、それぞれの道を切り拓いています。
DONATION
寄付とオンライン交流の受付ページは、現在準備中です。
お支払い方法や領収書の扱いなどを整えています。準備ができ次第、こちらでお知らせします。それまでの間も、ご相談はお気軽にお問い合わせください。
カンボジア人と日本人の出会い
3教室の小さな学校が誕生
学びの機会を届けた子どもたち
外国語という強みを得た卒業生
OUR WORK
公教育に加え、日本語・英語の学びを届けます。言葉を学ぶことが、新しい世界や文化に出会う入口になります。
海外から訪れるボランティアとの交流を重ねてきました。これからはオンラインでも交流する機会をつくります。
先生、教材、教室、通信環境。授業を続けるための土台を整え、地域と共に学びの場を支えます。
OUR WORK / THE STORY CONTINUES
教室があることは、出発点です。
子どもたちに学びを届け続けるために、いま、みなさまの支えが必要です。
OUR FUTURE
「日本語と英語があったから、
夢を叶えることができました。」

有機野菜農園@日本
2011年に外国語(英語・日本語)を学び、2013年に外国語授業の先生になりました。その後、自分の夢を叶えるために大学に進学し、無事に卒業することができました。
大学での授業や職場では外国語を使うことが多いです。私は日本語と英語を学び、自分の強みを得たことで、大学生活でも仕事でも、数多くの素晴らしい機会を得ることができました。
後輩のみなさんにも、自分自身の力で生きる術を身につけ、チャンスをつかんでほしいです。夢に向かってあきらめずに挑戦し続けてください。応援しています!

日系企業@シェムリアップ
2011年から2014年まで、英語を学びながら、ボランティアとして英語の先生をしていました。
現在は、シェムリアップ市内にある日本人経営のレンタカー会社で働いています。また、休日には旅行会社で日本語のツアーガイドをしています。
外国語を学ぶことで、新しいチャンスが生まれたり、人生が変わったりすることがあります。私自身も、外国語を学んだことで、さまざまな経験やチャンスを得ることができました。
職業・ひとこと
生まれた村や家庭の環境にかかわらず、誰もが学び続けられる場所をつくる。
日本語や英語を通して世界とつながる機会を届け、子どもたちの未来の選択肢を広げます。
教育は、子どもたちが自分の人生を選ぶための土台です。
カンボジアの農村に生まれたことが、未来の可能性を決めることのないように。一人ひとりが学び、自分の可能性を知り、自分の力で未来を切り拓いていける社会を目指します。